1988年頃の自主映画の予告編はとても重要なものでした。
大学公認の映画サークルから派生した自主映画サークルなどの場合、大学で後輩たちが上映会をするときなどに予告編を流させてもらって集客するとか、大学の横のつながりでできた友人の上映会などがあるときにも予告編を流させてもらって集客するとか、その当時の予告編は本当に予告編としての目的のために真剣に作られていたのです。だから中には本編より面白い予告編がいくつもありました(笑)。もっと言えば、予告編しかない映画もいっぱいありました(笑)。
この『みちのり』には1988年当時のオリジナルの予告編はありません。
大学の映画サークルとも縁が無く、横のつながりもほとんど無い独立系の自主映画サークルだったので、他の上映会などで予告編を流す機会がなかったのです。
また、自主映画の予告編は往々にして本編の要約になることが多かったので、図らずも言葉足らずで分かりにくい本編の理解を深めるのに役だったりしました。
この予告編も、当時の自主映画予告編の流れを踏襲して、本来なら映像やドラマで語られるべきテーマを全部説明しちゃう形式で作ってみました(笑)。
本編を理解する一助になれば幸いです。
※1988年4月10日山梨県立美術館講堂上映時のパンフレット
1986年は、後に言う“バブル景気”が始まった年と言われています。
日本が好景気に浮かれ始めたと言うのに、Peppermint Film Workers が第2回作品に選んだのは、なんと「今どきやたらクサイ青春映画」(※1988年4月10日山梨県立美術館講堂上映時のパンフレットより)でした。
テーマは恋愛や友情に必要不可欠な「相手を思い遣る心」。
恋人のために、友達のために、あるいは良く知る知人のために、いざと言うとき何をしてあげられるのか。そんな正解のない問いに真正面から挑んだのが本作です。
また、1986年頃は携帯電話はもちろんインターネットもない時代。遠く離れた人と繋がるには、手紙か有線電話しかありませんでした。現代の若者がそんな時代背景を知らずに観ると、なんとももどかしい映画と映るかもしれません。でも、この距離感こそが、実は相手を思い遣る時間そのものだったのではないか、そんなことをこの作品は問いかけています。
一方、制作の方に目を向けると、クランクインは1986年夏で年内には撮影は終了していましたが、完成までにはそれから1年7ヶ月もの月日を費やすこととなりました。関係者全員が社会人だったため作業が出来るのは平日は帰宅後の夜遅くと、あとは休日を利用してコツコツと作業するしかなかったのです。
世の中はバブル景気で浮かれているのに、戸辺ときたら暗い部屋でひとり8mmフィルムと格闘する日々が続きました。しかし限られた時間を遣り繰りして頑張っても遅々として進みません。「このままでは何時までも終わらないかも」と焦った戸辺は上映日を決めると言う手段に出ました。終わりがあれば否が応にもそこまでに完成させなくてはなりません。しかしこのせいで、締切間近には徹夜に次ぐ徹夜の追い込みとなってしまい、とうとう戸辺は血尿を出してぶっ倒れてしまいました。
『みちのり』はそんな血みどろの戦いの果てに完成することが出来たのです。
出演者は相変わらず全員がほぼ演技未経験者。そのため画面に醸し出される独特の雰囲気は、演技か素かの判断も難しい不思議な空気を醸し出しています。でもそれこそが自主映画の真骨頂。そう、僕たちは自分たちが作りたいと思ったものを作りたいように作っただけなのです。だからみなさんは、くれぐれも文句を言わないように(笑)。
だって『みちのり』は、素人がワイワイ楽しみながら趣味で作った8mmフィルムの自主映画なのですから。
残念なことに、デジタル化に踏み切ったのが遅すぎたようで、33年もの歳月は残酷にもフィルムを劣化させていました。冒頭の数分間には赤い色ムラが生じ、音声もところどころ音が酷くこもるところがありました。
可能な限りの修復は試みましたが、やはり限界があります。その辺を考慮してご覧ください。
※みちのりの台本
笠井宏明(25)(渡辺浩次)は、東京郊外の小さな町工場で働いている。彼には岩手県の詩宮市に住む織部深雪(21)(野中登代美)と言う恋人がいた。二人は東京─岩手と言う距離のハンデを手紙や電話で補いつつ互いの気持ちを確かめ合っていた。
宏明には松下信夫(24)(松鹿範生)と言う工場の同僚でもある親友がいた。わがままなくせに気の小さな信夫は事あるごとに宏明のところにやってくる。この日も想いを寄せている染田千春(22)(佐野清美)にふられたと一升瓶を抱えて来たのだった。そんな信夫に宏明は「バイクを買って自分の力で彼女を迎えに行く」と話すのだが信夫はひがむばかり。
翌朝、二日酔いの信夫を会社へ送った宏明は、両親の墓参りに行き深雪と結婚するともりだと報告する。墓参りを済ませると、工場長の娘、林直美(22)(佐久一美)が立っていた。宏明を好きな直美は河口湖の天上山に行こうと誘うが、宏明は膠も無く断る。直美は思わず、宏明の恋愛はウソだと言ってしまうが、宏明は「人と人とはもっと信じられるものだ」と答える。
その頃、信夫は集金にかこつけて千春とドライブとシャレこんでいた。ところが運の悪いことにチンピラに絡まれてしまうと、千春は信夫を置いて一人逃げてしまう。
ひととおりの用を済ませて自分のアパートに戻った宏明を待っていたのは工場長の奥さんからの電話だった。直美が自殺するとメモを残していなくなったと言うのだ。
宏明はすぐに行先の見当がついた。案の定、河口湖の天上山で直美をみつけた。宏明の言ったことが本当かどうか確かめたかったと言う彼女を宏明は優しく諭す。
直美の無事を工場に連絡すると、今度は信夫が集金に行ったまま戻らないと言う。慌てて直美を送り届け、心当たりを必死に探し回るが信夫は見つからない。諦めてアパートに戻ると、信夫は宏明を頼ってドアの前に座り込んでいた。
信夫を病院へ連れていき、工場へ電話を入れた際、本当はチンピラにとられた集金の金を、つい無事だと答えてしまう宏明。
その夜、宏明は岩手の深雪にバイクが買えなるかもしれないと告げる。「私はこうして宏明さんの声が聞けるだけでいいの」と言う深雪の言葉に背中を押され、宏明はバイクの金で信夫が無くした集金の金を立て替える決心をした。
翌日、バイク屋へ行き、バイクが買えなくなったことを詫びる宏明だったが、バイク屋の吉沢は「さっき売ってしまったからちょうど良かった」と笑って答える。
複雑な気持ちの宏明がアパートへ戻ってみると、何故かそこに買うはずだっバイクが置いてあるではないか。添えてあった信夫からの手紙には、工場長に正直に全てを話し宏明のお金を返してもらってこのバイクを買ったこと、そして最後に「ありがとう」と書かれていた。
宏明はさまざまな想いを乗せたバイクにまたがり、深雪の待つ岩手県の詩宮市を目指して走り出すのだった──。
【1988年4月10日山梨県立美術館講堂上映時のパンフレットより】

前作『Too far away』では製作と言う裏方に徹する一方、演者としては“麻利子さんのアパートの住人”役と言うちょっとだけセリフのある役をもらった渡辺くんだったが、そのとき演じる楽しさに目覚めちゃったのか本作で堂々の主役デビューを果たす。それまで大した演技経験がなかったのでどうなることかと少し心配だったが、「どうにかなったんじゃないか」とは本人談(笑)。

ある日の新歓コンパで一発芸をさせられた新人達の中で、“エアー手品”と言うとんでもない破壊力を持った芸を堂々と披露しその日の話題をかっさらった松鹿くん。その度胸と演技力にえらく感動した監督の戸辺は、この映画の企画が立ち上がった時、「信夫ができるのは松鹿くんしかいない!」と熱烈オファーをし続け、何とか口説き落として出演してもらったのだ。案の定、芝居の経験がないにもかかわらず彼は期待以上の演技を披露してくれた。

一見その当時のヤンキーのようなルックスの佐野さんだが、実は明るくて真面目で世話好きの優しい女の子。その上、好奇心旺盛で物怖じしないので、演技未経験でも絶対千春を演じられると確信して出演をお願いした。もう期待以上に千春になり切ってくれて本当に素晴らしかった。

役の直美はわがままで気の強い女の子だけど、実際の佐久さんはシャイですぐ顔が赤くなる純真な女の子。人前で演じたことなど一切無いと言う彼女に出演をオファーすると、当然「死んでも出ない」的な勢いで断られたが、口八丁手八丁で丸め込み何とか出演してもうことに。ある程度芝居が出来てればいいくらいのつもりでいたが、いざ本番となると堂々と演技しちゃうんだから女の子ってわからない。

第3回作品『詩集 新しい人』では主演を務めた野中さん。本作では声だけの出演。素の野中さんは本当に良くしゃべる明るい女の子で、演技未経験ながらもこの人なら声だけで十分演技できると確信してのオファーだった。事実、電話の声だけで遠距離恋愛の世界を作っちゃったんだから頼んで大正解だったと思う。ただ、アフレコの時、本番直前までしゃべり続けるのは止めて下さい。

実際には工場長の奥さんではないけれど工場で働いていた種綿さん。自主映画作りに興味を持って「どんな映画作るの?」と話かけてくれたので、気軽に「出ますか?」って聞いたら気軽に「出たい」と言うので「それなら是非とも参加して」と言うことになった素敵な人。自ら「出たい」と言うだけあって演技未経験なのに堂々たる演技だった。

今回、製作を始め様々な裏方を兼務して大活躍の山岡くんは演技初挑戦ながらも表現者としていい味を発揮。ちなみにバイク屋の吉沢に選ばれたのは、普段着につなぎを着てたと言うちょっと特殊なセンスが買われてのことだったらしい。とても真面目な彼はアフレコの演技が納得できなかったのか、その後こっそり一人で自分のパートだけ録り直していた。

山本くんは本物のバイク乗り。だからライダー役は彼しかいないと出演をお願いした。演技は初めての彼だったがなかなか堂々としたものだった。シーンの内容が海辺の暗い広場的な設定だったので、表情とかちゃんと写せなかったのが本当に申し訳ない。

本作で桑田くんのフォローとして撮影を担当してくれた樋口くん。撮影だけでなく演者としても演技初体験とは思えない自然な店員さんを熱演。ちなみに台本では“郵便局員”だったのが、ロケ場所の関係で急遽“酒屋の店員”に変更になったのに、柔軟に対応して演じきったのだ。

Peppermint Film Workers の作品に無くてはならない存在の撮影の桑田くん。シャイな彼は表に出るのをあまり好まないが、せっかくなので是非出てと切望。前作『Too far away』ではセリフの無いエキストラでの出演だったけど今回はセリフがある! ほぼ演技経験のない桑田くんの自然な演技に注目!

第3回作品『詩集 新しい人』では、ほぼ主演を務めた網倉くん。本作では演技未経験での挑戦だった。優しい彼にチンピラ役が出来るか心配だったけど、いざ撮影になると自前でそれっぽい衣装を用意して、声を荒げないタイプの一番怖い人を見事に演じみんなを驚かせた。

半沢くんはみんなが想像する通りの若いチンピラを怪演。体格、服装、セリフ回しと全てを網倉くんと対照的にすることで、いい感じのチンピラコンビを作り出してくれた。もちろん未経験からの演技への挑戦でした。

織部深雪として写真たての中で微笑むこの女の子。いったい誰? この人がどこの誰なのか、実は誰も知らない。確か雑誌の素人美人紹介みたいな記事から適当に切り抜いて入れた気がするんだけど、今となってはもはや確かめるすべがないのだ。
大学在学中に8mm映画『Too far away』を制作。その作品では初めての長編の脚本と初めての監督を務めた。もちろんフィルムの編集も初めての挑戦だった。その後正式に自主映画サークル「Peppermint Film Workers」を立ち上げるもなかなか製作の機会に恵まれず、就職後なんとか作った映画がこの第2回作品『みちのり』である。サラリーマンしながらの8mm映画製作は過酷を極め、完成間際には徹夜が続き、ついには血尿を出してぶっ倒れてしまったことも。
『みちのり』の後には、1988年に撮影をしたものの仕上げる直前のまま諸般の事情で制作が中断していたフィルムを2021年に完成させた第3回作品『詩集 新しい人』と、「Peppermint Film Workers」の作品ではないが1995年にβカムで作った『青い絲』がある。
第1回作品『Too far away』(1984年)監督・脚本・編集
第2回作品『みちのり』(1988年)監督・脚本・編集
第3回作品『詩集 新しい人』(1988、2021年)監督・脚本・編集
赤井塾製作『青い絲』(1995年)監督・編集
元暴走族の切込隊長でヤクザとタイマン張って相手を病院送りにしたこともある、そんな怖そうな経歴を持っている彼だが、正体は仲間思いで男気溢れるイケメンである。その上、実は某難関国立大学に通っていてのちに一流企業に就職しロサンゼルスの支社長になっちゃうんだから人間って面白い。
「Peppermint Film Workers」の第1回作品『Too far away』で製作を務めた彼は、『みちのり』では彼の実体験をベースにした原案を書き上げ、それを基に企画を立ち上げ製作を指揮した。就職して忙しくなった彼は、残念ながら撮影の現場にはほとんど顔を出せなかったが、それでも陰ながらしっかりフォローをしてくれたお蔭で本作品は無事に完成したのだ。
第1回作品『Too far away』(1984年)製作
第2回作品『みちのり』(1988年)原案・企画
桑田くんは実はカメラ好きでもカメラマン志望でもない。彼が好きなものはモータースポーツである。国内A級ライセンスを所持していて乗っていた車はA70型スープラ。四輪に飽き足らず、のちに二輪の大型免許も取ったはず。それなのに8mmカメラを扱わせたらちょっとスゴイ。背が高いのに撮影の時はコンパクトにもなるのもスゴイ。
監督の戸辺は桑田くんの構図やカメラワークに絶大な信頼を置いていて「Peppermint Film Workers」の第1回作品から全ての撮影を桑田くんに託していた。そして回を重ねるごとにその技術はパワーアップされて行くのだ。
第1回作品『Too far away』(1984年)撮影
第2回作品『みちのり』(1988年)撮影・企画
第3回作品『詩集 新しい人』(1988、2021年)撮影
戸辺と会社の同期の松鹿くんは、サラリーマンをしながらバンドを組んでライブ活動や曲作りを行っていたアーティスト。彼の音楽に惚れ込んだ戸辺は松鹿くんに映画で使うすべての音楽を依頼。彼は戸辺の期待以上に素晴らしい楽曲を提供してくれた。
何が凄いって、当時はパソコンなどないから、一人で曲を作るにはカセットMTRと言う4トラックのテープレコーダを使って物理的に音を重ねて作る以外に方法はない。まず最大「ステレオ2ch分×2」の生演奏や打ち込みの音を入力しミキシングしたものを「ステレオ2ch分=2トラック」に重ねて録音する。その合成した「ステレオ2ch分」と新たな最大「ステレオ2ch分×2」の音を合わせてまた「ステレオ2ch分」に合成して録音する。この作業を延々と繰り返して曲を作っていくのだ。もしも1回でも失敗したら全部初めから作り直し。今じゃ考えられない労力と時間をかけて作った音楽が、この『みちのり』のサウンドトラックなのだ。
第2回作品『みちのり』(1988年)音楽・録音・効果
第3回作品『詩集 新しい人』(1988、2021年)音楽
戸辺と会社の同期の山岡くんは、マルチな才能持ち合わせた素晴らしい人。主に製作など裏方の仕事を受け持ってくれて、とても信頼が出来て完璧に仕事を遂行するので安心して背中を預けることが出来た。第2回作品『みちのり』も第3回作品『詩集 新しい人』も彼無しには絶対に完成しなかったと断言できる。
それ以外にも、クレジットにこそ名前はないが、脚本協力・照明・美術・記録・録音・効果などにも関係してるとかしてないとか。いやもう「八面六臂」と言う慣用句は山岡くんのためにあると言っても過言ではない。本当に感謝しかない。
第2回作品『みちのり』(1988年)製作・特殊撮影・撮影助手ほか
第3回作品『詩集 新しい人』(1988、2021年)制作進行ほか
※サークルの会報。元祖「ペパーミント通信」
音楽は音を楽しむと書くが、みちのり製作における私の立場は差し当たって「音苦」ではなかったか。これだけ音楽の氾濫した日本でそれらに極力劣らぬものを零から作らねばならない。人々の耳は肥えている。そして道具は何も無い。そのうえ映像と合ったもの、等、多々の条件の中では山の音楽家の小鳥だけでなくとも上手にフルートばかり吹いてはいられないのが現実とあろう。夜中に突然電気をつけて枕元のノートにミファソミファソミファソレドソファとか書き込む日々が続いた。食事をせずに楽器の金を蓄えた。(ここまでいうと少しウソだ。)音楽に没頭するあまり女のコに愛想をつかされた。(これは半分事実。)いずれにせよ、かくしてみちのりの曲集が完成した。何はともあれ曲紹介といこう。(初期の公開では曲が間にあわなかったこともあり、その際のお客様には深くお詫び致します。)
さわやかで青い海が広がりそうな曲を書くつもりが、楽器のハードウェア的問題等もあり、最後までメロディーが書けず苦し泣きした。出来上がってみればやけに健康的過ぎて、なるほど、NHK好みかと。
もとは、絵本の中のシンデレラ姫に憧れて会いに行く男の子のちょっとませたラヴロマンスを歌にしようとしていたもので、時間的制限と歌い手のわがままで今回はインストとなった。のんびりした音色のシンセ・ソロでは少しでもビ・バップを感じていただければこの曲は満足。
もっともらしいタイトルで誤解を受けやすいのだが、これは失恋の曲ではない。現実的かつ物理的に遠い所へ行ってしまう大切な人へ対する正直な気持ちであり、別れはつらいけれどいつまでも愛しているよという強く淋しい意思表明である。(現実の私の生活に差し支えるのであまり書かないことにする。)この場合直美の気持ちとは(立場が違うからやむを得ないが)少しズレがあるのかも知れないが、もっと大きくとらえれば気持ちはニアリー・イコールということで…。
ドイツではない。もとはヴァイオリンの音色で四重奏曲と決め込んだが、できてみるとあまりに悲愴的でボツ。音色をヴィブラホン変えてみた。曲としては弦の方が美しいと思うのですよ。
エンドタイトルをそのままヴィブラホンの3声にアレンジしたインストもので、オルゴールの様なアレンジは私自身作っていてうれしくなった。恋人との甘い時間を表現するには結構ぐっどかも…。
露語で「ありがとう」の意味。スパシーバと発音する。これはこの映画でエンドテーマと並んで重要な曲だと思う。映画のテーマでもある友情、やさしさ、美しさ、そして愛。自画自賛させてもらえばこの曲名にはそれらの全てが統合されている。「ありがとう」この言葉には性別や年齢、時間や空間までも超越して表現されるコミュニケーションがあり、もっとも素朴でもっとも美しい。またロシア語の持つ新鮮でガラスの様な響も重要である。で、曲の内容はといえばこれは案外簡単に出来てしまった。そう、メロディーだけとり出してみるとそれはそれは某国内アーティストの誰かさんの曲に似てると言われるだけあって(お試しあれ。)、これはアレンジメントの勝利──ここでは音源(楽器)がエライ、と言わざるを得ない。意に反して「音は金(かね)なり」という、テーマを冒涜した様な結論となってしまいゴメンなさい。
特に意図があったわけではないが、サビの部分は北島三郎の与作と極めて類似したコード進行となっており、あまり大きな顔はできない。
これは中でも初期のもので、リズムマシンとベースギターのみをダビングして作った涙ぐましいものである。やはり、先立つものは金なのだろうか。
これもかなり初期の曲で苦労の跡が見られる。当初は「薄化粧」というタイトルでもっとしっとりした曲にする予定だったが完成してみるとやけにガチャガチャして派手なのでタイトルを変更した。
出てしまった。同じく初期のもので、今聞くと寒気が走る曲である。カラオケ気分で歌っているのは役者の信夫くん。次回はもう少し練習が必要なようである。何というか、信夫と言う男は、熱い想いは伝わってくるのだが今一つ表現が下手なようで、損をしている。映画の中でもそうだが、私生活もそっくりそのままらしい。(笑わないで下さい。)
ほかにもいくつかの曲が使われていると思うが、全て何らかの形で苦労させられたのばかりで、作者にとっては(良し悪しは別として)可愛いものばかりである。ハラハラする面もあるがそれはお許しいただくとして、画面と一緒に音楽の方も楽しんでいただき、少しでもほのぼのとした気持ちになっていただければ幸いである。
1988. Apr. (軽井沢にて)
【1988年4月10日山梨県立美術館講堂上映時のパンフレットより】
※フィルムを紛失してしまったカットの絵コンテ。撮り直したものと全く違うものだった
この「みちのり」を製作するにあたっての問題点と云うのはいくつかあった訳ですが、その1つが、主人公・宏明役の渡辺君を始めとして、メインスタッフの誰もがバイクの免許を持っていないと云う事でした。この映画の中でバイクは、1つのキーとなる大切な、無くてはならない物です。しかしそれを動かせる者が居ないのです。当然、バイクの走るシーンは全部吹き替えです。社内の友人や先輩、東京の友人など4人に御願いしました。シーンが変わるたびにバイクに乗っている宏明が、太ったり痩せたりしているのに御気付きになったでしょうか。
そして、バイクに乗れる者が居ないのですから当然バイクも借りものなのですが、これを貸して呉れた友人がこのバイクを売りに出していて、或る日突然、話がまとまったので返して欲しいと云います。バイクの出るシーンを大急ぎで撮り終えバイクを返してホッとしたのも束の間、バイクを撮ったフィルムが一本行方不明になってしまいました。恐らく夜のロケーション時に、何処かに落したのでしょう。とにかくもうバイクは手元に無いし、どうしようかと困り果てた末に苦肉の策として考えたのが、社内の先輩のバイクを借りて撮り直しをすると云う案でした。しかし先輩のバイクの色は白で、型も主人公のものとは違います。それでもカメラアングルと、夜のシーンであった事にも助けられて何とか誤魔化しました。それが冒頭、主人公がツーリング中のライダーと会話をするシーンです。
次に主人公の恋人、織部深雪が住む「詩宮市」ですが、これは岩手県の海辺にあると云う設定の架空の街です。映画のラスト近くに主人公が彼女の街を目指してバイクをひたすら走らせるシーンがありますが、当初このシーンの中に「詩宮市○km」とか「詩宮市」と云う道路標識は入らない予定でした。しかし、彼が一晩かかって走った距離を5分間で見せてしまおうと云うのですから、それなりに工夫しなければ彼の苦労とか期待感とか云ったものが伝わりません。そこで件の道路標識のカットを入れようと決めたのでした。しかし実際に存在する街ならいざ知らず、詩宮市の道路標識などどこを探したってある筈がありません。無いものだったら自分達で作ってしまえ、と材料を買って来て作ってしまったのでした。勿論、ミニチュアですが。
この他にも、真冬に河口湖で追加のカットの撮影を行った時に知人友人に頼んで半袖姿になってもらって夏の雰囲気を作ってもらったとか、撮影終了迄使えなくなるのを覚悟で自分達の家財道具を空部屋に持ち込んで宏明の部屋を作った事とか、或いは、何日も間をあけて撮り直しを何回かやった為に宏明の髪形が3回も変わってしまうシーンがあるとか、話しだせばきりがありません。ま、こんな風に見える所、見えない所であれこれと苦労を重ねてこの映画は完成した訳です。(以下略)
【1988年4月10日山梨県立美術館講堂上映時のパンフレットより】
※デジタル化に合わせて統一された新しいロゴ
この映画はさわやかだ。脚本がしっかりしているし、音楽もいい。媚びたところがないから後味もいい。
たぶん日本文化の新しい展開のなかで、ひとつの指標になっているのだと思う。
明確で素直な映画である。そのストレートな展開ゆえに誰にでも安心して薦められる。とかく細部へのこだわりが全体のストーリーを難解なものにしがちな自主映画界にこのような作品を送り出すことで、映画の本来的意義を問い直してみようとする制作者たちの純粋な情熱がなによりも喜ばしい。細かい難点をあげることも可能であろうが、この素朴さの前ではそのような見方こそが無意味に思える。見終えた時、誰もがさらに見ごたえのある次回作を期待せずにはいられないのではないだろうか。それは、この映画が青春映画の第一条件と言える“若さ”を見事に表現し、頼もしい若者がさらに続く“みちのり”を歩く姿を想わずにはいられないからに違いない。
【1988年4月10日山梨県立美術館講堂上映時のパンフレットより】

1988年製作 / 8mm / 24コマ / 68分 / カラー / モノラル / スタンダードサイズ
渡辺浩次 松鹿範生 佐野清美 佐久一美
野中登代美 種綿生子 山岡信樹 山本英樹
樋口博之 桑田健司 網倉 覚 半沢伸一
監督・脚本・編集:戸辺千尋 製作:宮下こうじ・山岡信樹
撮影:桑田健司・樋口博之 音楽:松鹿ちかてつ 照明・美術:瀧澤眞擴 録音・効果:松鹿ちかてつ・山岡信樹
企画:宮岸雅弘・桑田健司・渡辺浩次 原案:宮岸雅弘 脚本協力:勝部マヤ・松鹿範生・岡野山吹
製作:Peppermint Film Workers since 1984